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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)8036号 判決

原告 大久保比奈子

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 山下卯吉

同 竹谷勇四郎

同 福田恒二

同 金井正人

被告 綾小路章子

右訴訟代理人弁護士 加納駿平

同 原秀男

同 今村実

同 竹下正己

主文

一  被告は、原告大久保比奈子に対し、金二三七七万八四五五円および内金二三五二万八四五五円に対する昭和四八年一二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、その余の原告ら各自に対し、金一一六八万九二二七円および内金一一五六万四二二七円に対する右同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告大久保比奈子に対し、金四〇八八万九八七三円および内金四〇六三万九八七三円に対する昭和四八年一二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、その余の原告ら各自に対し、金二〇二四万四九三六円および内金二〇一一万九九三六円に対する右同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告大久保比奈子は訴外大久保亘(昭和一四年一〇月六日生)の妻、同大久保潔、同大久保豊子はその父母である。

2  大久保亘(以下「被害者」という。)は、日商岩井商事株式会社(以下「日商岩井」という。)の社員であったが、同人の会社の親しい後輩である訴外斎藤慶三(昭和一九年三月二七日生)と同社の社員が日頃客として出入りしていた麻雀荘の経営者である被告(昭和二年七月一二日生)とが、昭和四七年六月ころから情交関係にあることを聞き知っていたところから、同四八年一二月二〇日夜たまたま斎藤と顔を合わせて一緒に酒を飲むうち、同人の将来を思い、二人の関係を速かにかつ円満に解消させるため仲介の労をとってやろうと考え、翌二一日午前二時ころ、赤坂に存する被告経営の麻雀荘に被告を訪れ、被告の自宅で話をしたい旨申し入れ、その同意を得たうえで、同日午前三時四〇分ころ、被告に案内されて斎藤と共に、東京都港区元麻布二丁目一四番二六号に存する麻布三生マンション一階一〇一号の被告宅を訪れた。

次いで、同所で、被害者が、斎藤を交え、被告との間で、斎藤と被告との別れ話について話し合っているうちに、被告は、被害者の行動は私生活に対する不当な干渉であると受けとり、また、その場での相互の言葉のやりとりおよびその内容に次第に興奮し、自宅内から散弾を装填したレミントンスポーツマン散弾銃(以下「本件猟銃」という。)を持ち出し、同日午前四時五〇分ころ、被害者に対し殺意を抱き、約二メートルの至近距離から同人めがけて本件猟銃を発射したため、同人は、射創による頸髄損傷により即死した。

3  右被害者の死亡により、被害者および原告らは、次の損害を蒙った。

(一) 被害者の逸失利益

(1) 給与および賞与

被害者は、日商岩井から、昭和四八年一月から一二月までの間に、給与として二一六万三一〇三円、賞与として一六九万四八〇〇円、合計三八五万七九〇三円の収入を得ていた。

ところで、被害者と同年令、同社歴の者の本俸、家族手当および住宅手当の合計額(基準内賃金)は、昭和四八年には月額一五万九一〇〇円であったが、同四九年には二〇万九四〇〇円となり、三一・六パーセント上昇したこと、被害者の同四八年の夏期賞与は七四万七六〇〇円であったが、同人と同年令、同社歴の者の同四九年のそれは一一五万二二〇〇円となり、五四・一パーセント上昇したこと、同四九年の春闘によって大手企業の全労働者の平均賃金が三二・九パーセント上昇したこと等を考慮すると、被害者が生存していれば、同四九年には、少なくとも前記同四八年の収入の一・三倍に相当する五〇一万五二七三円(円未満切捨て)の収入を得ることができたものというべきである。

そして、被害者は、死亡当時満三四歳の健康な男子であったから、本件により不慮の死を遂げなかったならば、満六七歳に達するまでの三三年間は稼働可能であり、右期間を通じ、少なくとも前記昭和四九年の給与および賞与合計年額五〇一万五二七三円に相当する収入を得ることができるものというべきであるから、右収入を得るために控除すべき生活費を右全期間を通じて三割とし、中間利息の控除につきホフマン式年別複式計算法を使用して死亡時における給与および賞与の額を算出するときは、六七三四万五五八七円(円未満切捨て)となる。

(2) 退職一時金

被害者は、昭和三七年四月、日商岩井(当時は、日商株式会社であり、昭和四二年の合併により日商岩井となった。)に入社したが、同社においては、就業規則によって、定年は満五八歳に達した月の月末と定められており、同人が右定年まで勤務すれば、勤続年数が満三五年となり、同社の退職一時金規程により、退職時の本俸に五五・〇を乗じた額の退職金を得ることができる。

被害者は、昭和四九年において、本俸月額一九万二四〇〇円を得ることができた筈であるから、同人は、定年退職時において、少なくとも右と同額の本俸を得ることができるものというべきであり、中間利息の控除につきホフマン式計算法を用いて死亡時における退職一時金の額を算出すると、四九二万一八六〇円(円未満切捨て)となる。

(3) よって、被害者の逸失利益は、合計七二二六万七四四七円となり、被害者の妻である原告比奈子がその二分の一を、父母である同潔および同豊子がそれぞれ、その四分の一を相続した。

(二) 葬儀費用

原告比奈子は、被害者の葬儀を行ない、その費用として四〇万円を支出した。

(三) 慰藉料

原告らは、被害者の死亡により、精神的苦痛を受けたが、以下の事情によりこれを金銭に見積ると、原告比奈子は五〇〇万円、その余の原告らは各二五〇万円が相当である。

(1) 被害者は、日商岩井に入社以来、仕事に励み、性格も明朗で社交性に富んでいるところから、いわゆるエリート商社マンとしてその将来を属望されていた。

(2) 原告比奈子は、被害者との幸福な家庭を破壊され、若くして寡婦となり、生計の途も絶たれた。

(3) 原告潔および同豊子は、被害者を養育し、大学まで卒業させ、親として同人の大成を期待していたが、それらが無為に帰した。

(4) 前記2のとおり、被告の行為は、残虐なものであり、その違法性は極めて強い。

(四) 弁護士費用

原告らは、被告から任意の賠償が得られなかったので、原告ら訴訟代理人らに対し、本件訴訟の遂行を委任し、その成功報酬として、原告比奈子において二五万円、その余の原告らにおいて各一二万五〇〇〇円を支払う旨約した。

(五) 損益相殺

原告らは、日商岩井から、被害者の退職一時金として一七八万七七〇〇円を受領したが、右金員は、原告らが本件により受けた利益であるから、法定相続分に従い、原告比奈子はその二分の一にあたる八九万三八五〇円を、その余の原告らはその各四分の一にあたる四四万六九二五円を、それぞれ前記損害額から控除する。

4  よって、民法七〇九条に基づく損害賠償として、原告比奈子は、被告に対し、四〇八八万九八七三円および弁護士費用二五万円を除く内金四〇六三万九八七三円に対する本件不法行為発生の翌日である昭和四八年一二月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、その余の原告らは、被告に対し、それぞれ二〇二四万四九三六円および弁護士費用一二万五〇〇〇円を除く内金二〇一一万九九三六円に対する右同日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  1は認める。

2  2の前段のうち、被害者が斎藤の将来を思い、二人の関係を解消させるため、仲介の労をとってやろうと考えたことは否認し、その余の事実は認める。

2の後段のうち、被害者と被告とが、斎藤を交え、二人が別れることについて話し合っているうちに、被告が、散弾を装填した本件猟銃を持ち出したこと、被告が構えていた本件猟銃が、原告主張の日時、場所において発射されたため、被害者が射創による頸髄損傷により即死したことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

本件猟銃が発射されたのは、被告の意思に基づくものではなく、被告の過失による暴発である。即ち、それまで座っていた被害者が、突然立ち上り、被告に襲いかかる動作を示したため、被告は驚いて数歩後退したが、その際、銃床が背後の物体と衝突し、そのはずみで被告の右示指が引金に触れて、本件猟銃が発射されたものである。

3(一)(1) 3(一)(1)のうち、被害者が死亡当時満三四才の健康な男子であったこと、同人が、本件により死亡しなかったならば、満六七才に達するまでの三三年間は稼働可能であること、同人が、右期間を通じ、少なくとも、昭和四九年に得ることができた筈の収入額相当の収入を得ることができることはいずれも認め、その余の事実は不知。

(2) 被害者は、本件により、将来の見込収入を失ったが、他方、生存していたならば当然徴収されるべき諸税金および社会保険料(以下両者を一括して「税金等」という。)の負担を免れたのであるから、右税金等を控除すべきである。被害者は、昭和四八年に、年収の一一パーセントに相当する所得税および二・八パーセントに相当する社会保険料を支払ったのであるから、同人の将来の見込収入額から、少なくとも一三・八パーセントは控除すべきである。

(3) 被害者の扶養家族は、妻である原告比奈子のみであり、被害者の生活費は、総理府統計局の消費単位指数によれば、収入の五五・六パーセントであるから、右割合による生活費を控除すべきである。

(4) 被害者の逸失利益の算定にあたり、中間利息の控除はライプニッツ式計算法によるべきである。

(5) 同(一)(2)は不知。

(二) 同(二)は認める。

(三) 同(三)のうち、冒頭の主張は争い、(4)は否認し、その余の事実は不知。

(四) 同(四)は不知。

(五) 同(五)は認める。

三  抗弁

本件の発生については、被害者に以下に述べる過失があったので、損害賠償額の算定にあたり、斟酌されるべきである。

1  被害者が被告宅を訪れたのは、斎藤の将来を思い、二人の関係を解消させるためではなく、酒の上での興を求め、被告をからかいたかったからに過ぎない。即ち、被害者は、昭和四八年九月ころ、斎藤の上司であり自分の友人でもある訴外岡田達郎から、斎藤と被告との関係はほとんど解消していることを聞いており、第三者が仲介する必要がないことを知っていたにもかかわらず、斎藤の制止もきかずに、被告に対し、被告の自宅で話をすることを執拗に要求し、被告が止むを得ず右申入れに同意すると、深夜、泥酔して、被告宅を訪れた。

2  被告が本件猟銃を持ち出したのは、被害者が被告に対し、「ママは女か」「まだメンスがあるのか」「鉄砲向けてみい」「死る覚悟はできている」等と再三、侮辱的、挑発的言辞を弄したうえ、被告が、「息子達に対しても非常に責任を感じている。」旨述べたのに対し、「死ぬ程、今死に」(「死ぬ程か、それなら今死ね」の意)と言って執拗にからみ、一向に帰ろうとしなかったため、同人を脅して帰らせる手段とするためであった。

3  本件猟銃が発射された直接の原因は、前記二2で述べたとおり、被害者の無謀な挑発行為によるものである。

四  抗弁に対する認否

1  過失相殺の主張は争う。

なお、本件のように被告の不法行為が故意によるものである場合には、たとえ被害者に過失が存しても、過失相殺をすることは許されない。

2  1のうち、被害者が、深夜、飲酒のうえ被告宅を訪れたことは認め、その余の事実は否認する。

3  2のうち、被害者が、被告主張のとおりの言辞を弄したことは認め、その余の事実は否認する。

被害者の右言動は、被告と被害者との親しい関係および酒の上での会話であることを考慮すれば、侮辱、挑発ということはできない。

4  4は否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求の原因1の事実、被害者が日商岩井の社員であったこと、同人が、会社の親しい後輩である斎藤と被告とが、昭和四七年六月ころから情交関係にあることを聞き知っていたこと、同四八年一二月二〇日夜、被害者と斎藤とがたまたま顔を合わせ、一緒に酒を飲んだこと、翌二一日午前二時ころ、被害者が被告に対し、被告の自宅で話をしたい旨申し入れ、被告の同意を得て、同日午前三時四〇分ころ、斎藤と共に被告宅を訪れたこと、被害者と被告とが、斎藤を交えて、被告と斎藤との別れ話について話し合っているうちに、被告が、散弾を装填した本件猟銃を持ち出したことおよび同日午前四時五〇分ころ、約二メートルの至近距離から被告の構えていた本件猟銃が発射されたため、被害者が射創による頸髄損傷により即死したことは当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によると、被害者は、斎藤の将来を思い、被告との関係を解消させるために仲介の労をとろうと考えて、被告に対し、話し合いを申し入れたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二  そこで、被告が殺意をもって本件猟銃を発射したものか否かについて判断する。

≪証拠省略≫によると、次の各事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

1  被告は、昭和四七年六月ころから、斎藤と肉体関係を結ぶようになって同年八月には赤坂所在のアパートの一室を借受けて同人を居住させてそこに通い、また経済的な援助をするなど懇ろな関係となっていたが、同四八年四月ころ、同人から他の女性との縁談話が持ち上ったことを理由にそれまでの関係の清算を迫られたことが機縁となって、その後は、同人との同棲に近い生活を解消し、同人との関係を清算しようと努力してはいたものの、なお斎藤に対する未練を断ちがたく、完全に清算することができずに悩んでいた。このような事情にあったところに、前判示のとおり、同年一二月二一日午前三時四〇分ころ、被害者が斎藤と共に被告宅を訪れ、一緒に帰宅した被告と話し合いを始めたが、被告は、被害者から、斎藤と早急に別れるよう要請され、その際、「ママは女か」「まだメンスがあるのか」「鉄砲向けてみい」等と侮辱的、挑発的言辞を弄されて次第に興奮し、更に、被告が、「息子達に対しても非常に責任を感じている。」旨述べたのに対し、被害者から「死ぬ程、今死に」(「死ぬ程か、それなら今死ね」の意)と言われて憤激し、当夜帰宅後、予め組み立て散弾を装填してあった本件猟銃を持ち出して腰部に構え、銃口を被害者と斎藤に交互に向けて、「帰れ」と命令したり、「死ぬ覚悟はできているか」と言って脅したり、「お前達二人で私を馬鹿にしている、手をついて謝れ。」と謝罪を要求したりして、興奮の状態を高めていったが、被害者がこれを無視し続けていたため、被告は、「斎藤さん、今日でもう終りね、今日は三人で死ぬ外ないわ。」と言い出し、斎藤が被告をなだめにかかったが、被害者が、「射つなら射ってもええよ」と言って、それまで坐っていた椅子から立ち上りかけた瞬間、本件猟銃が発射された。

2  被告は、自ら本件猟銃の安全弁を外し、かつ、被害者に対し、その旨警告を発した。

3  本件猟銃に実弾を装填し、二ないし三メートルの高さからコンクリートの床に落下させても暴発する可能性は殆どない。

4  本件猟銃の床尾にネジで止めてあったプラスチック製の床尾板が破損し、同床尾板下部のネジ部から銃身に沿って、銃床木質部には、約五センチメートルにわたって縦の亀裂が生じているが、右のような銃床部の損壊は、本件猟銃が発射された後、発射による反動で銃床部が背後の固定物に激突して生じたものと考えるのが合理的である。

5  被告は、昭和四四年一〇月五日に本件猟銃所持の許可を得て以来、毎年四、五回は狩猟に行っていて、本件猟銃の使用には経験を積んでいる。

6  被告は、本件直後、薬物およびガスによる自殺を図って昏睡状態となったが、意識が完全に回復し、会話の内容も正常になって病院を退院した直後である昭和四八年一二月二四日、捜査官に対し、自分の意思で本件猟銃の引金を引いた旨述べた。

以上1ないし6の事実を総合すると、当初被告が本件猟銃を持ち出した目的は、被害者を右猟銃で脅して、同人との話し合いを早く終わらせ、同人を帰宅させることにあったが、1のような経緯で次第に興奮の度を高めていき、同人が、「射つなら射ってもええよ。」と言って被告を挑発し、椅子から立ち上りかけたのが機縁となって、それまで押えていた怒りが爆発し、咄嗟に殺意を抱き、本件猟銃を発射したものと認めるのが相当である。

よって、被告は、原告らに対し、民法七〇九条により本件による損害を賠償すべき責任がある。

三  過失相殺について

被害者が、深夜、飲酒の上、被告宅を訪れたこと、被害者が、被告宅において、被告に対し、被告主張のとおりの言辞を弄したことは前判示のとおりであるが、前掲各証拠によると、昭和四八年一二月二一日午前二時ころ、被害者が被告に対し、被告の自宅で話をしたい旨申し入れたところ、被告は、「話があるなら店でしてほしい。」旨答えたが、なおも被害者が執拗に被告の自宅で話し合うことを要求したため、被告は、渋々右申し入れに応じたものであること、被害者が被告に対し、右申し入れをしたのは、斎藤から格別の依頼があったからではなく、むしろ斎藤は、被害者を制止しようとしていたことが認めることができ、右認定に反する証拠はない。その余の被告主張の事実は、本件全証拠によるも認めることができない。

前記二1および右判示の事実を総合すれば、被害者と被告とが日頃から交際があって心安い間柄であり、また、本件当日の被害者の行動が酔余とはいえ後輩の将来を思う情に出たものであったという事情があったにしても、本件死亡事故が発生するに至った原由には被害者の軽卒で常軌を逸した心ない言動に触発された面が多分にあることは否定できないのであって、かような事情は被害者の過失として本件損害賠償額の算定にあたり斟酌されるべきであり、その過失の割合は二割と認めるのが相当である。

なお、原告らは、被告の不法行為は故意によるものであるから、たとえ被害者に過失が存しても過失相殺をすることは許されない旨主張するが、前判示の事情のもとでは被告の不法行為が故意によるものであるからといって、損害の公平負担の原理である過失相殺をすることが許されないと解すべき合理的根拠を見出し難い。

四  損害について

1  逸失利益

(一)  給与および賞与分

(1) 被害者が、死亡当時満三四歳の健康な男子であったこと、本件により不慮の死を遂げなかったならば、満六七歳に達するまでの三三年間は稼働可能であること、右稼働可能期間中、少なくとも、同人が生存していたならば得ることができた筈の昭和四九年の収入額相当の収入を得ることができることは当事者間に争いがない。

しかしながら、被害者が生存していたならば、昭和四九年に合計五〇一万五二七三円の収入を得ることができた旨の原告ら主張の事実は、本件全証拠によるもこれを認めることができず、≪証拠省略≫によると、被害者が生存していたならば、少なくとも、その本俸、家族手当および住居手当として、昭和四九年一月から三月までは月額一五万九一〇〇円、同年四月から一二月までは二〇万九四〇〇円、特殊奨励金として月額二五〇円、時間外勤務手当として月額平均二、〇〇〇円、夏期賞与として一一五万二二〇〇円、冬期賞与として九五万七七〇〇円、合計年額四四九万八八〇〇円の収入を得ることができたものと認めるのが相当である。

(2) 税金、社会保険料および生活費の控除について

不法行為に基づく損害賠償制度の目的は、被害者に生じた実質的な損害を填補するにあるから、被害者が生存していれば当然徴収されるべき税金および社会保険料(以下両者を一括して「税金等」という。)は、得べかりし総収入から控除するのが公平の見地からして相当である。

所得税法九条一項二一号によると、損害賠償金は所得税の課税の対象とされていないが、右損害賠償金をもって、税金等の相当額を控除する以前の金額を基礎として算出された賠償額を指称するものと解しなければならない合理的根拠はないから、被害者の得べかりし総収入から税金等の相当額を控除することは、右規定の趣旨に反するものではなく、また、将来の税金等の額の把握が困難であるとしても、控除の基礎となる総収入自体が蓋然的な算定によっているのであるから、この点も税金等の控除を否定すべき根拠とはなしえない。

そこで、その控除方法について検討すると、税金等は、その種類および額について、その時々の立法政策、家族構成の変更等により、将来の変動が予想されるものであるが、次善の策としては被害者が死亡した当時の同人の総収入に対する税金等の占める割合を基礎にして、一定割合を控除する方法によるのが相当であるところ、≪証拠省略≫によると、被害者が死亡した昭和四八年において、同人の総収入に占める税金等の割合は、一三・八パーセントであることが認められる。

しかるところ、被害者の逸失利益の算定にあたり、同人の生活費を控除すべきことについては当事者双方の見解も一致するが、将来の生活費についてはその厳密な算定は困難であるから、その総収入に対する一定割合を控除する方法によるのが相当である。この点につき、被告は、総理府統計局の消費単位指数に基づき、被害者の生活費の控除割合をその総収入の五五・六パーセントであると主張するが、右計数は、被害者の生活費の家族全体(被害者と原告比奈子)の生活費総額に占める割合を示すにとどまるものであって、それの被害者の総収入額に占める割合を示すものではないから、右数値を直ちに採用するのは相当ではない。

そこで、税金等および生活費の控除にあたっては、それらを一括して合理的な範囲内においてこれをなすのが相当であり、本件においては、前判示の被害者の年令、職業、収入、家族構成、税金等の収入に占める割合等を総合して考慮し、収入の四五パーセントと認めるのが相当である。

(3) 中間利息の控除方式

被告は、中間利息の控除につき、ライプニッツ式計算法によるべきであると主張するが、損害賠償金が複利により利殖されるとは限らないこと、本件損害賠償認容額に対する遅延損害金が複利計算によるものではないことおよび本件における年間収入額が、昭和四九年の額を基礎とし、昭和五〇年以後の昇給やいわゆるベースアップ等の要素を一切考慮していないことを考慮すれば、本件においては、中間利息を複利計算によって控除するライプニッツ式に比べて、年毎に単利計算によって控除するホフマン式の方がより合理的なものと解すべきであり、この点に関する被告の主張は採用しない。

(4) 以上により、中間利息の控除につき、ホフマン式年別複式計算法を使用して、死亡時における逸失利益中給与および賞与分を算出すると、四七四六万五二六四円(円未満切捨て、四四九万八八〇〇円×(一-〇・四五)×一九・一八三=四七四六万五二六四円)となる。

(二)  退職一時金分

≪証拠省略≫によると、被害者が、昭和三七年四月、満二二歳で日商岩井に入社したことが、≪証拠省略≫によると、日商岩井においては、就業規則によって、社員は満五八歳に達した月の月末をもって退職する旨定められていることおよび退職一時金規程によって、勤続年数が満三五年となる者は、退職時の本俸に五五・〇を乗じた額の退職一時金を得ることができる旨定められていることがいずれも認められ、右認定に反する証拠はない。

しかしながら、被害者が生存していたならば、同人の昭和四九年の本俸が月額一九万二四〇〇円となる旨の原告主張の事実は、これを認めるに足りる証拠がなく、≪証拠省略≫によると、月額一八万八四〇〇円となることが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、退職一時金は、必ずしも給与の後払いとしてのみの性格を有するものとはいえないが、退職後における本人および家族の生活保障の役割を果たしているものであって、しかも被害者が生存していることを前提として算出するものであるかぎり、その全部を原告らが自己のために消費しうべきものではないのであるから、公平の見地からして、給与および賞与分と同様に、税金等および生活費としてその四五パーセントを控除するのが相当である。

そして、被害者は、退職時において、少なくとも昭和四九年と同額の本俸を得ることができることを推認するに難くないから、中間利息の控除につきホフマン式計算法を使用して、死亡時における退職一時金の額を算出すると、二五九万〇五〇〇円(一八万八四〇〇円×五五・〇÷(一+〇・〇五×二四)×(一-〇・四五)=二五九万〇五〇〇円)となることが明らかである。

(三)  以上によれば、被害者の逸失利益の合計額は五〇〇五万五七六四円となるところ、本件不法行為の発生について被害者にも過失があり、その割合を二割とすべきものであることは前判示のとおりであるから、被害者は、結局逸失利益としては右全額の八割に相当する四〇〇四万四六一一円(円未満切捨て、以下同じ。)の損害賠償請求権を取得したこととなる。

そして、原告比奈子が被害者の妻であること、その余の原告らがその父母であることは冒頭説示のとおりであるから、被害者の死亡により、原告比奈子は右金額の二分の一に当る二〇〇二万二三〇五円、その余の原告らは各その四分の一にあたる一〇〇一万一一五二円の損害賠償請求権を相続したものというべきである。

しかるところ、請求原因3(五)の事実は当事者間に争いがない。したがって、原告比奈子については八九万三八五〇円、その余の原告らについては各四四万六九二五円を右相続にかかる債権額から控除すべきであるから、原告比奈子の現在の債権額は一九一二万八四五五円、その余の原告らのそれは各九五六万四二二七円となるべきものである。

2  葬儀費用

原告比奈子が被害者の葬儀を行なうに際し、その費用として四〇万円を支出したことは当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫により認められる被害者の両親の社会的地位、被害者本人の死亡当時の社会的地位からすれば、右金額は葬儀費用として高きに失するものではないと認められるから同原告は右金額相当の損害を蒙ったものというべきである。

3  慰藉料

被害者を本件により失った原告らの精神的苦痛に対する慰藉料としては、前判示のとおりの本件不法行為の態様、被害者の過失および≪証拠省略≫により認められる被害者の生い立ち、原告らの家庭環境等諸般の事情を考慮すると、原告比奈子につき四〇〇万円、その余の原告らにつき各二〇〇万円と認めるのが相当である。

4  弁護士費用

≪証拠省略≫によると、原告らは、被告から任意の賠償を得られなかったので、原告訴訟代理人らに対し、本件訴訟の遂行を委任したことが認められるが、原告らの各損害額、本件審理経過、事件の難易等を彼此考慮するときは、本件原告訴訟代理人との間に報酬約定が存在したか否かを問うまでもなく、原告比奈子が二五万円、その余の原告らが各一二万五〇〇〇円を原告訴訟代理人らに支払うべきことは、本訴の提起、追行のための謝金の額として相当と認められ、右はいずれも本件不法行為と相当因果関係の範囲内にある損害と認めるのが相当である。

5  以上によれば、被告は、原告比奈子に対し、1(三)および2ないし4の合計金額二三七七万八四五五円、その余の原告らに対し、それぞれ1(三)および3、4の合計金額一一六八万九二二七円を支払う義務があることとなる。

五  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告比奈子につき、二三七七万八四五五円およびそのうち弁護士費用二五万円を除く二三五二万八四五五円に対する本件発生の翌日である昭和四八年一二月二二日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、その余の原告らにつき、一一六八万九二二七円およびそのうち弁護士費用一二万五〇〇〇円を除く一一五六万四二二七円に対する右同日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉井直昭 裁判官 田中豊 裁判官福富昌昭は、転任につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 吉井直昭)

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